自分の周りを見ていると気づきにくいが、ネットでも職場でも、あるひとかたまりの人間を眺めると、あきらかに、恋愛している人間と、恋愛してない人間がいることに気づく。
私の知人で、小学校を出てから20歳の年を重ねてもなお、童貞の男性がいる。この場合は、恋愛しないと言ったほうがいいだろうか。よくしたものでそんな男がいると、そんなのに限ってブログで議論する仲間がついていたりするし、アキバでせっせと欲求不満を解消する手段がついていたりもする。
だから、その男性はずっと童貞のまま学生生活を続け、就職した。見かねた男性の同僚は、なにかと合コンをセットみたり、「やればできる」と発破を掛けたりと関与してきたが、そもそも恋愛する意欲のない人間にどれも通じるはずもなかった。
という事情はあくまでその男性の周りの人間の言い分だ。本人はまったく異なる事実認識を持っている。
「俺はずっと恋愛至上主義の犠牲になってきた。好きな事もできず、世間に負い目を感じ、あげくのはてに、20代後半で彼女無し=欠陥人間と嘲笑された」と主張する。
しかし、ここで他人の私に突っ込ませていただくと、その男性のいう“好きな事”だが、彼がそこにむけて行動を起こしまくりだったのを私は見た事がある。“嘲笑された”というがそれは最低限のマナーすら身に付いていないので鼻つまみ者になっているだけで、改善の為のリソースを秋葉原にせっせと投下しているのを私は知っている。
私から見ると、メディアワークスとゲーム会社から買った夢でずっと楽に生きている30歳男にしか映らないのだが、本人の認識では最大の被害者になるわけだから、なにが事実かは判断しようもない。
(略)
おそらく両者の事実認識もまた生涯噛み合うことはないだろう。
こういったケースのどれにも共通することがある。
それは、「恋愛しない人間は、弁が立つ」ということ。それぞれに何故自分は恋愛しないのか立派な理屈を持っているのだ。
そのストーリー性が確立されているほどに、他者は「可哀想に」と同情する。もしくは「オレもそうだった」と噴き上がる。そして誰もそこから抜け出れず数十年が経つ。これはまるで奴隷宗教のスパイラルだ。
そこから脱出する方法は、“理屈を聞かない”こと。聞いたが最後、そのスパイラルに巻き込まれる。
これは、私の職場でもよく見かける光景だ。芸能界にはマネージャーというのがいる。
本来は仕事を取ってきたり営業したり、タレントを売ることで利益を上げねばならない職業だが、よくあるパターンとして「君では売れないんだよ。君が悪いんだよ。君に魅力がないんだ。etc・・・」と1時間でも「営業できない理由」を喋る輩がいる。しかし、そういうのに限って、企画書の一枚でも書いたのを見たことがない・・・。
そして、その理屈を聞いて「仕方がない」と給料を払い続ける経営者がいる。
今の時代、本当に恋愛したくても出会いがない場合だってある。そういう青年が、プライベートで寡黙に自分磨きをしているを目撃したことがある。彼の周りでは誰も彼を嗤う人はいなかった。
要は、恋愛するかしないか、ではなく、恋愛しないことを正当化するかしないか、のようだ。
恋愛しない人間がそこに安住しようとした時、共通して磨き上げているのは正当化するテクニックだ。狡猾な人間ほど家族も含めた組織全員が反論できないまでの、緻密な理論を練り上げる。
その労力と時間を本来の方向に回せば、正当な結果を得られるのに・・・と私なんかは思う。 ちなみに私はそういう輩と議論はいっさいしない。彼らの技術を磨く練習台になってたまるかと思う。
恋愛しないことを正当化する人間に対して、敬意を払う人間がいる限り、それは結局、正当化への報酬となって本人に届く。本人が正当化をやめる理由は、そこにはない。
昔から言われている言葉がある。
「何を言うかではなく、何人子供を作ったかで人を判断しなければいけない」
聞くから分からなくなるのだ。じっと見れば分かることだってある。
「自分さえ気持ちよければいいもんねー。今年も護身できますように」と、正月二日に使ったTENGAの穴を見つめた。
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